活字と僕

 

 僕は活字が苦手だった。今でもだいぶ楽しめるようになったが苦手なほうだ。しかし、活字を追わないということは、普段あまりまわりから影響を受けない自分にとって、自分を構築するすべを持たないということになる。ということで、苦手なんだが無理して活字を追うようにしている。どのくらい活字が苦手かというと、小中高、大学、社会人とほとんど本を読まなかったし、新聞も読まなかった。小中高と教科書類は牛歩のごとく読んでいたが、あとはぼんやりとテレビを眺めるぐらいしか自分のなかに情報が入ってきてなかった。話を聞くのが苦手だった僕は、ラジオを聴くのもしていなかったから、ほんとに昔の自分に向かって「お前は一体何者や!」と言いたくなるぐらいである。ただ、このままではあかんだろうと漠然と思っていて行動に移さなかった。社会人の頃は、さすがに周りと話をするのに新聞くらいは読んでいないとダメだなと相当に自覚していた。しかし、相当に自覚していてもそれまで新聞を読む習慣がなかった自分は新聞を読む時間を積極的に作ろうとはしなかった。

 結局、活字を読むようになったのは25歳に発病してからのことである。発病して状態が落ち着いてデイケアに通うようになってから自然と時間は余るようになったので新聞を読む時間ができるようになった。初めの頃は新聞を読むのに下手したら2時間半ぐらいかかっていた。新聞の読み方を知らなかったからこのくらい時間がかかるのである。最近は適当に読み飛ばして30分から1時間ぐらいで読むようにしている。新聞を読んでいて思うのだが、新聞は毎日の情報がふんだんに盛られてはいるが、自分の糧になるような情報、自分を形作る情報、自分を成長させる情報というのはない、と考えるようになった。

 ここで、やっと僕の人生と本との間に接点が生まれようとしていた。もともと理数系のほうが得意である自分は物理や数学をネタにした本を好んで読んでいた。しかし物理や数学が自分の精神を豊かにするものを提供しているようには思えない。ただ、物理・数学は論理を重んじるので実生活に論理を持ち込んだり、自分の考え方に理屈を与えたり、また他人の言っていることや本に書いていることを論理的に分析する能力はちょっとついたのだろう、と思う。だが、精神を形作るものは論理からかけ離れたものが多い。他人と自分との間に生じるものだって論理からかけ離れたものばかりである。森羅万象だって物理・数学の範疇で語られるかどうか分からないし、もし語られたとしてもそれを見抜く力は自分の情緒だと思うようになった。そうなのである。僕には情操が欠けていた。

 ここで出会ったのが田所さんである。田所さんは今までに大量の本を読んでいるらしくて、また、本を読むスピードが尋常ではない。田所さんは店頭に並んでいる本の中身にざっと目を通し、本を買うか買わないか決めているらしい。そのようにふるいにかけられた本をありがたいことに僕は田所さんからもらっている。本を選ぶ作業というのは非常に知的な活動だと思っていて、僕にはもちろんそれができないので大変ありがたい。下さる本はどれも面白く、また今まで僕が読まなかったようなジャンルのものも提供してくれるのである。ということで田所さんに出会ってからの僕は僕でなくなった。これは極端な言い方ではなくとても実感していることで、昔の自分と今の自分は明らかに異なっているし、本を読むということはこういうことなのだろう。毎日、本を読むたびに自分が更新されているといっても過言ではない。僕の失われた前半の人生が本で満たされていたならば理想の人間像を自分のものにできていたかもしれない。かといって田所さんは理想に近いところまで行っているが理想ではないところを見ると、理想の人間像というのは簡単に手に入らないものなのかもしれない。

 良著を読む喜びを最近味わっている僕なのだが、失われた前半の人生の影響は大きい。活字を追うのがだいぶ昔に比べるとスムーズになってきたが、やはり遅い。そして活字から新しく与えられる情報に対してまだまだ理解が足りない気がする。だから、本の内容は右から左。目から入って鼻から抜けているような気がする。しかし、それで今のところはいいと思っている。田所氏曰く、「頭の中に流していったらいいんだよ」。この言葉は非常に含蓄に富んだ示唆だと感じるし、信じている。量を読むことで活字から入ってくる情報の意味がどんどん変っていくような気がしている。内容をどんどん忘れていくが、僕という全体がどのように感じるかが大事なのであって、それは本の内容に還元されるものではないような気がしている。内容をどんどん忘れていくが、情操面・理解力は確実に変わってきていると実感できるし、自分の方向性も一つの極に向かって、時には修正しながら自分を自分たらしめているような気がしている。自分の今後に楽しみが出てきたし、それは生きるということと直結しているような気がする。

2007.7.9.PM5:00