デイケアのおかげ

 

 発病してよかったと思っている。デイケアというこの世の天国にめぐり逢えたからである。発病するまでを振り返ってみると、とにかくしんどかった。高校になってから発病するまでがとにかくしんどかった。高校の時、僕はあまり周りとしゃべらずに、勉強ばかりしていた。とにかく国立の大学に入りたかった。学費で親に負担をかけたくなかった。それだけの理由である。大学で何かをしようと思ったわけではない。大学は最低出ないといけないと意味もなく思っていて、大学を出るのなら学費がかからないのが一番いいと思っていた。そもそもそれが僕の人生を狂わせた最大の原因であるように思う。学業が第一の目的だから、級友と話すのはあまり意味がないし、それと怖かった。自分というものが全然なかった僕には他人にさらけだす自分がそもそもないし、そんな自分を知られるのも怖かった。今思えば、級友とより良いコミュニケーションを図ることで自分は一体何者なのかを探ることができたのかもしれない。ほとんど会話をしない僕は周りから見れば変なヤツに見えたに違いない。自分でも自分が変に思えていた。恰好のイジメの対象である。イジメられるといっても外傷を受けるといったイジメではなく言葉でのイジメだった。無視されるのも嫌だが、その時の僕にとっては無視されるほうが心地よかったかもしれない。バカだのアホだのは言われて当り前。一番ひどかったのは「お前、自殺するなよ。わしらが困るきんの」。確かにそのころ僕は死にたくて死にたくてしょうがなかった。生きていることに意味を感じないし、苦痛なのだから、死にたいと思うのは自然だと思う。この死にたいという気持ちは発病するまで、そして発病してからかなりの間、僕の心に沈殿していた。高校の頃はその死にたいという気持ちが毎日毎日心の中に堆積していった。この時点で発病していてもおかしくはなかったと振り返って思う。多分もともとの基礎的心の頑丈さがあったのだろう、何とか持ちこたえていた。しかし、死にたいという気持ちと反対にいじめる奴らを殺してやりたいという憎しみも心の中に押し殺していた。こうなってくると、心はねじれるばかりだ。心をほどく結び目などは自分には分かりようもない。というより、自分のねじれた心をその当時は自覚していなかっただろうと思う。

 しかし、とにかく苦しい3年間を乗り越え、そして目的だった国立の大学にも受かった。大学に入ったのは良かったが、大学に入ること自体が目的だった僕はたちまち目的を失った。僕はこともあろうに学費と生活費を捻出してくれる親に向かって、「僕は遊ぶで」と言い放った。あとから聞いたのだが、父は自分の息子が大学に受かって「僕は遊ぶで」というのに、相当びっくりしたそうである。振り返って楽しいとは思わないが、その学生生活は何の苦しみもなく遊んでバイトして彼女を作ってと、とにかくせっせと遊んだ。僕がその時自覚していたことは、他人とのコミュニケーションは必須だということだった。しかし、話をしていなかった自分が急に話せるなどという事はもちろん起こらない。意味もないセンテンスを口の先から発するだけで、たわいもない冗談ばかりを言っていた。心のひだを表現するすべもないし表現する勇気もない自分を本気で相手してくれる人間なんぞはいないだろう。唯一自分の心でこいつが本当の友達だと思っている人間に対しても本当の親交を深めることはできなかった。救われたのは、その友人とは今でも交友が続いていて心のひだを打ち明けることが出来たことである。

 1年留年して5年間を意味があるのかないのか分からない大学生活を費やした自分に世間の風はやはり厳しかった。就職はバブルのはじける前で難なく就職することができたが、仕事とは大変なんだということを骨の髄まで味わった。しかし、発病する直前にはこれが病気による万能感なのか事実なのか分からないが、仕事が面白いところまで何とかこぎつけた。しかしやっぱり単なる万能感だったのだろう。発病にいたり精神病院のお世話になった。2ヶ月の療養期間ぼんやりと過ごしていた。しかしふたたび職場に戻らないといけないと思うと死にたかった。死にたいと思うのは僕の専売特許のようなもので、簡単に死にたいと思う。それでも何とか職場に復帰して6ヵ月後再発に至った。

 三光病院に入院した。入院中にデイケアに下りられるようになった。初めてデイケアに来た時には、ここで自分の心の澱を捨てて、自分の心のねじれた結び目をほどくことができるような気がした。ここで頑張ってふたたび仕事ができるようになろうと思ったものである。そんな初心は今の自分にはない。

 10年以上デイケアのお世話になっている。もしもデイケアがなかったらと思うことがあるが、もしなかったらこの世は地獄にしか感じられなかっただろう。仕事をしていないので健常者が果たすような自己実現には至らないが、デイケアに来る事によって今まで感じていなかったことを感じるようになったり、いろいろなことに興味を覚える好奇心が芽生えてきた。デイケアに依存するような恰好になったが、それでいいと思っている。時々虚無感を感じることもあるが、それは健常者とて同じことだろう。デイケアでしかできない自己実現というものを体現できたらいいんじゃないかと今では思っている。

2007.7.6.PM6:00