東大モトクラシー

 「東大モトクラシー」。一体なんのこっちゃ。どういう意味なんだ。「トウダイ」は「東大」なんだろう。「モトクラシー」というのは「デモクラシー」とよく似た意味かなんかで学生運動となんか関係があるんだろう。

 中学生から高校生の頃の自分である。五教科の勉強は良くしていたが、生涯のための学習という術(スベ)及び意味がよく分かっていなかった未熟な僕は「調べる」ということをしなかった。自律的に勉強をしない自律勉強失調症に陥っていた僕には「そういう言葉があるんだろう」と勝手に思い込んでいた。国語で習うだろ―、という人もいるだろうが「灯台下暗し」という言葉は絶対習っていない。

 よくわからないんだったら聞けばいいんじゃないか、という人もいるだろう。中学生の頃は意味のない会話をしていたように思う。そして高校生の頃はしゃべらないのが美徳だと思いこんでいて、あまりしゃべることをしなかったし、人の話しに耳を傾けるということもなかった。そして、知らないことがバレるのも嫌だった。だから「東大モトクラシー」って何、と聞けないのである。

 「消しゴムはどこに置いたんだったっけ」
と探している自分に、
 「そこにあるやん」
と声をかけてくれる友達。そしてその友達が、
 「東大モトクラシー」
という。僕は、
 「こいつ何言っとんや、よくわからん奴や」
と心の中で思う。自分が一番よくわからない奴なんだというのを自覚しないコッケイな僕であった。

 中・高校と「東大モトクラシー」に象徴される勘違いで話しがよくわからないときが頻繁にあったように思う。「お前人の話し聞いてないやろ」といわれるとき僕は一番キズついていた。確かに僕は人の話を聞いていなかった。これは僕個人の特有の問題だとながらく思っていた。ところが結構みんなそうだったんじゃないかと思わされる事実を最近知った。アランピーズ+バーバラピーズ共著のベストセラー「話しを聞かない男。地図が読めない女。」である。この本の題名だけでも結構救われるのだが、読み進んでいくと「男の子は思春期に三半規管が急激に発達して耳の聞こえにくくなる時期がある」と書いてある。こういう科学的説明に弱い自分は「なんだ自分だけじゃないんだ」とちょっとふんぞりかえった。

 今でも話しを聞くのは苦手である。しかしこの病気になって「傾聴」が大事なんだということで、だいぶ真剣に人の話を聞くようになった。しかし人の話を聞くのは疲れる。僕個人としては人の話を聞くのは大変な努力を要する。昔はテレビ画面を見るだけでほとんど音声を聞いていなかったのだが、最近はテレビを見るとなったら気構えて、テレビを1時間見るとクタクタになる。 

 それにしても、「東大モトクラシー」に関して言えば、これは完全にヒヤリングが出来ている。僕の頭の中に「灯台下暗し」という単語がなかったというだけの話しなのかもしれない。

2002.4.23.AM2:00


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