ねだめカンタービレ

 僕がピアノを始めたのは3歳か4歳の頃だったと思う。母が台所で背を向けて何か用事をしていた折に、ちらっと振り向き「ナル男、ピアノするな」と言う。ぼくは幼少の頃から今に至るまでとても素直な性格なので「うん」と答えた。

 数日後、家にピアノがやってきた。カワイのピアノで当時40万したと父が言っていた。アップライトピアノである。このピアノけっこう優れた音がして今でも愛用している。まもなくピアノの先生がやってきた。もちろんと言うのも変だが女性である。ぼくはこのピアノの先生の顔を見たことがない。単に記憶がないというわけではない。本当に見たことがないのだ。大人の女性であるこのピアノの先生の顔を恥ずかしくて恥ずかしくて見られなかった。うつむいて先生の言われたとおり鍵盤をたたくのみである。しかしこのピアノの先生が好きだったという気持ちはなかった。とにかく恥ずかしかったのである。ぼくは何かと精神面でおくてだと思っているが、こと性的には早熟だったのかもしれない。とにかく美しかったであろうピアノの先生に赤のバイエルから教わった。結局2人の先生についたのだが、このふたり目の先生の顔も見たことはなかった。

 小学校4年のときのこと。ハノン教本を習い始めていたころだった。このハノン、なんとも退屈で機械的で面白くなかった。かなり嫌いであった。こんな大変なときに同じクラスの人間に「おまえ、ピアノやかやって女やの」と言われた。ムカッ、ピアノやめちゃるそもそも好きでピアノをやっていたわけではないし未練もない。その次のピアノのレッスンを鬼ごっこでサボってやった。するとピアノの先生が探しに来た。鬼ごっこをしているのでちょうどよかった。ぼくは隠れとおした。お母さんが月謝を払っているのにサボってしまっていけないな、と思うのだがしょうがない。男の意地である。

 それから長らくピアノを弾かない時期が続いた。中学2年生のころだろうか、なぜかピアノを触ってみようという気になって「エリーゼのために」を練習し始めた。小学生のときピアノは嫌いだったがこの「エリーゼのために」をいずれ弾きたいと思っていた。このいずれ弾きたいという気持ちが僕とピアノをつなげていた。エリーゼのためにが弾けるようになると次は当然「乙女の祈り」。これは意外と難しく今でも弾けない。ほかにもいろいろな曲に挑戦したのだがこの頃弾いていた曲は面白みに欠けていた。高校生になって、初めて魅力的な曲に出会った。映画「さみしんぼう」のバックで流れるショパンの「別れの曲」。この曲を聴いたときいつか必ず弾きたいという強い動機が生まれた。この動機がピアノと僕との関係をさらに強めたのだ、といま振り返って思う。しかし、この「別れの曲」は非常に難儀な曲だった。大学生のときに楽譜をはじめて見たのだが第一印象は「うっ」。あとで知ったのだがこれはショパンのエチュードだった。エチュードというのは練習曲のことだが、クラシックピアノ曲で練習曲といえば難しい曲と相場は決まっている。リストしかり、スクリャービンしかり、ラフマニノフしかりである。だがこの楽譜を見てたじろがなかった自分は偉い。弾きたいという強い動機が僕を楽観的にさせていた。この曲を弾くのにとても長い年月がかかったが今では弾ける。なにとて、あの難しい中間部。これをクリアしただけで僕の人生には意味があった、と思っている。

 話しは大学生の頃になるが、大学に入ったら何かのサークルに入ろうと思っていた。そして出会ったのが「シンセサイザープロジェクト」というサークル。このサークルが陣取っていた大学の一教室に説明を聞きにいった。するときれいなお姉さんがいろいろと説明してくれる。ほかにもきれいなお姉さんが何人か居た。僕はこのサークルが気に入った。即入部である。このお姉さん方が“さくら”だという可能性も考えられたのだがそうではなかった。このお姉さん方は「特音」の方たちでクラシック音楽を専門に大学に入ってきたお嬢さん達なのである。えらくお姉さんの話しに力が入ったが僕はこのサークルでアンサンブルを体験した。しかしこのアンサンブルというのが僕には非常に苦手なものだというのが分かった。まずみんなの練習に合わせないといけない。そしてアンサンブルをして僕にはリズム感が欠如していることにはじめて気がついた。その頃いい加減にふるまっていたせいもあって次第にサークルの活動に身が入らなくなった。そして一人で自分のペースで自分のリズムで練習するのがいいと悟った。持っていたシンセサイザーは友達に譲って、ローンを組んで電子ピアノを買った。

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 社会人になってそうこうするうちに病気になった。そしてS病院に入院した。入院中のことだ。デイケアに降りてくるとピアノの音が聞こえてくる。ピアノの音がする方に向かってふらふらと歩いていった。ピアノを奏でていたのはデイケア主任のOさんだった。僕も弾ける、と言ったもののその頃きつい薬を処方されていた僕の指は驚くほどに動かなかった。Oさんに「やっぱり弾けんやん」と言われてしまった。とにかく病気になってからピアノに向かう機会が多くなった。最近では「サウンドスケッチャー」というヤマハの製品を買って自分の演奏を録音し、パソコンに取り込み、CDに焼き付けるといったことをしている。そして毎晩寝る前にCDに焼き付けられた自分の演奏に聞き入っている。ナルシストここに極まった。いちど友達の結婚式のスピーチをピアノ演奏付きで引き受けたことがある。エルガーの「愛の挨拶」を演奏したのだがあがってしまって頭の中が真っ白の状態で演奏した。それでもみっちりと練習した甲斐があってミスタッチ無く完奏した。盛大な拍手を受けて、もう感無量である。ピアノ人生ここに極まった。このピアノ演奏を頂点に僕のピアノ人生&人生はくだっていく。このところ寝ている時間が異常に長い。最近、はまった漫画に「のだめカンタービレ」という変態クラシック音楽の漫画がある。とても気に入っている漫画なのだが、年中寝ている僕は「ねだめカンタービレ」と言えるだろう。


2006.6.29.PM5:00

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